5月に入り、日中が暑くなってきましてので、日課の散歩を早朝の人通りの少ない時間帯にしています。散歩の道すがらにiPhoneで撮影した写真でそのコースを紹介していきます。
朝の散歩 ①六孫王神社
最初に訪れたのは、清和源氏始祖、源経基を御祭神とする、清和源氏発祥の宮 六孫王神社。
京都駅八条西口からは徒歩14分ほど。JR嵯峨線梅小路京都西駅からも梅小路公園の中を通って徒歩14分です。ゲストハウス御旅庵からは、八条通を西に徒歩5分。
源経基は清和天皇の第六皇子の子で清和天皇の孫にあたり、六孫王と称されました。その源経基をお祀りする社殿ができたのが、平安時代中期のこと。その後変遷を経て、清和源氏の流れをくむとする徳川将軍家により、元禄時代に社殿が再建されました。
4月には枝垂れ桜を皮切りに、ソメイヨシノや遅咲きの御衣黄桜、紅八重桜が目を楽しませてくれました。最近、河津桜も植樹されましたので、今後も楽しみです。
境内東側の壬生通りに面する花畑には、季節の花が植えられていて、5月の今はヒナゲシやムギナデシコが咲いてます。6月には色とりどりの紫陽花が咲き誇りますよ。
朝の散歩 ② 東寺・北総門
六孫王神社を出て八条通を東に徒歩2分ほどで東寺(教王護国寺)の北総門に着きます。
この門は鎌倉時代後期建立の重要文化財。
門のすぐ傍にバス停がありますが、バス停の名称はここから160mぐらい離れている「六孫王神社前」です。
京都駅からバスで来られる場合、京都市バス16系統に乗ります。バス停は京都駅の南側出口の八条口から横断歩道を渡って八条通の南側。三つ目のバス停で降ります。ただし昼間のバスの頻度は1時間に2本だけですので、乗り遅れたら次のバスを待つより歩いた方が早いです。
市バス16系統の京都駅方面バス停はやや西寄り(六孫王神社側)にありますが、行き先は京都タワー側のバスターミナルとなり、新幹線に近い八条口とは反対側です。
この門をくぐって東寺境内に向かいます。
朝の散歩 ③ 櫛笥通
北総門から南に続く石畳の道は櫛笥通です。
向かって右(西側)は学校法人真言宗洛南学園。進学校ですが、スポーツでも有名。今年はコロナウイルス感染症の広がりで、いろんなスポーツ大会に影響が出ていて残念ですね。
この櫛笥通は平安時代の櫛笥小路にあたります。古都京都の中でも、平安京の小路の位置と幅を現代に伝える唯一の通りだそうです。
写真左側には東寺の塔頭寺院が並んでおり、奥の石橋を渡る手前には、そのひとつ、観智院(かんちいん)があります。
観智院の客殿は、桃山時代建立の入母屋造 こけら葺で国宝に指定されています。
剣豪・宮本武蔵が吉岡一門との決闘の後にしばらく身を潜めた場所とされ、その間に武蔵によって描かれたという襖絵「鷹の図」「竹林の図」が残されていて、間近で見ることができます。
この稿を書いている現在は感染症拡大防止のために拝観停止中となっています。
朝の散歩 ④ 東寺・北大門
櫛笥通は東寺の北大門につきあたります。
北大門は鎌倉時代前期再建、慶長六年(1601年)補修の重文。
門の前の堀には石橋がかかっており、その橋の柱には○○三年と書かれているのがわかります。上の文字は延と読めそうです。下の文字は判読困難ですが、うかんむりの字のように見えます。延で始まり二文字目がうかんむりの元号を調べてみると「延宝」のみ。宝の旧字体、寶でしょうか?
延宝3年だと江戸時代初期ということになります。
朝の散歩 ⑤ 東寺・大師堂(御影堂)
北大門をくぐり、食堂(じきどう)の前を右に曲がり、石畳に沿って進むと大師堂(御影堂)への入口があります。大師堂は、室町時代再建の国宝です。
2016年から檜皮葺屋根の葺き替え工事が行われ、この3月には工事は終了しましたがお披露目されず、周りに三角コーンが置かれたままです。新型コロナウイルス感染症の影響がここにも出ています。
修復工事が始まる前までは、毎朝6時の法要、生身供(しょうじんく)はこの御影堂で行われていました。
生身供は工事開始以降、向かいの大日堂で行われていますが、密集、密閉、密接(三密)を避けるために、一般の参拝は不可となっています(2020年5月現在)。
生身供は、2020年7月17日より修復工事を完了した御影堂で行われています。
この感染症拡大防止の”三密”という言葉がよく使われるこの頃ですが、
弘法大師空海が説く真言密教には「三密」:
身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)
という言葉があり、大切な教えとなっているとのことです。
興味のある方は、”密教 三密”でググってみてください。
朝の散歩 ⑥ 東寺境内
大師堂を出て境内を南に進みます。
砂利が敷かれた境内ではケヤキの巨木に混じって山茶花の木も立ち並んでいて、冬には目線より高い位置に白やピンクのサザンカの花が咲きます。
上の写真の場所は、毎年1月8日より14日まで行われる後七日御修法(ごしちにちみしほ)のときに阿闍梨方が通る盛り砂の道となり、しめ縄で結界されます。
写真右奥は、後七日御修法が行われる灌頂院(かんじょういん)があり通常非公開です。唯一、1月14日の結願日には、祈祷が行われた灌頂院内部が約一時間だけ一般公開されます。
散歩コースに戻ります。
食堂(じきどう)、講堂、金堂と一直線上に配置された伽藍を左手に見ながら歩きます。
広い境内では、早朝にラジオ体操をする近所の方々もおられます。
毎月21日の弘法市と第一日曜日の骨董市にはこの場所に数多くの露天のテントが所狭しと並びますが、2020年4月と5月は、コロナの影響で中止となりました。蚤の市は”三密”が避けられないため、今後も難しい判断が続くのではないでしょうか。
朝の散歩 ⑦東寺 金堂、南大門
東寺境内の南には国宝の金堂が存在感を示しています。
東寺は平安京遷都の2年後に創建されていますが、金堂は最初に建設されました。現在の金堂は、桃山時代に再建。
ご本尊は、人々をあらゆる病から守ってくれる薬師如来さま。毎月21日には、南側正面の扉が開かれ、伽藍の外側よりご本尊を拝めます。
金堂の東側に五重塔、その前には弘法大師空海が東寺の伽藍建立前に祈りを捧げたといわれる八島社があります。それらを左手に見ながら、南大門に向かいます。
南大門は明治時代に焼失しており、現在の門は三十三間堂の西門を移築したものです。京都国立博物館を建設する際、三十三間堂の西門を移動させる必要があり、当時まだ火災で焼失されたままの東寺南大門として活用したのだとか。
消失前、門の左右には、運慶作の仁王像があったとのことですが、現在はなにも置かれていません。
朝の散歩 ⑧ 東寺 猫の曲がり
南大門を出て、九条通を堀沿いに東に進みす。
九条大宮交差点あたりの築地塀東南角は、東寺の七不思議のひとつ「猫の曲がり」の場所。いわれは諸説ありますがここでは割愛します……。
京都の古地図を見ると東寺の大宮通沿いには堀がありました。その堀は東寺の寺領を囲むように九条通沿いの堀につながっています。その堀は西本願寺の北側を通り、都を南北に貫く堀川に合流しています。現在の東寺の南側、九条通沿いの堀はこの角で唐突に断ち切れていて、水の流れもないため池のようになっていますが、かつては水量も豊かな運河の一部であったのでしょう。
大宮通沿いの築地塀はもう10年近く修復工事が続いていて、無粋な工事用フェンスで仕切られたままです。瓦屋根の葺き替えは終わっており、次は壁面の修復、仕上げ工程と思いますが、東寺境内では、北大門沿いの築地塀の修復工事も始まり、すっきりした姿になるはまだ先のようです。
東側築地塀の中間には重文の東大門があります。不開門(あかずのもん)と言われ、新田義貞に攻められた足利尊氏がここで防戦したという故事があります。現在は、写真の通り、白いフェンスで囲まれていて、通りからは上部しか見えません。
朝の散歩 ⑨ 東寺 慶賀門
工事中の築地塀沿いに大宮通を北進すると慶賀門に着きます。
慶賀門は、鎌倉時代前期建立の重要文化財です。
古い時代の寺は南向きに建てられており、東寺の場合、南大門が正門になりますが、京都駅からは慶賀門の方が近く、東寺を訪れる多くの人が最初にこの門をくぐります。
この慶賀門前に伏見稲荷大社の御神輿が集まるときがあります。それは4月の終わりから5月の初めに行われる伏見稲荷大社の氏子祭の最終日です。
還幸祭の日、同社の氏子地区である京都駅周辺の地域を練り歩いた御神輿5基が慶賀門で止まり、東寺僧侶による神供をうけるのです (今年の氏子祭は中止ななりました)。東寺創建時、稲荷神と空海を結びつける故事があり、その関係が現代にも受け継がれているのです。
慶賀門をくぐれば左手に宝蔵と五重塔が見えます。
さらに境内を西に進むと五重塔がきれいに見える場所がありますが、今回の散歩コースは、これでは終わりです。
京都観光が心置きなく出来るようになり、お泊まり頂けるようになりましたら、朝の散歩をお楽しみください。
御旅庵には、慶賀門より徒歩4分で着きます。
